人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[東京BL編] 横須賀×論評×緊張!の日

2月20日(土)、JTC主催による1999年の論評ワークショップとコンテストが開催された。東京バイリンガルクラブと三笠クラブの合同運営で、場所は三笠の例会場でもある横須賀の米軍基地内のキニック高等学校講堂であった。TMに参加していると普段ならまず行くことはない場所に行くことがある。その一つが米軍関係の施設である。これまでにもアメリカンクラブや根岸の米軍施設に入ったことがあったが、横須賀の基地は初めてだった。米軍基地となると警戒も厳重で、コンテストの事前には各クラブに「顔写真付きの身分証明書のご持参を必ずお願いします」というファックスが送られるほどであった。

当日は品川から京浜急行に乗り換えて横須賀へと赴いた。横須賀中央駅へ降り立った時から既に普段とは違った空気が感じられた。基地のゲートに辿り着き、米兵の前で身分証明を見せた時にはすっかり緊張していた。一歩足を踏み入れればそこはもう日本ではなくアメリカなのだ。会場の講堂へはゲートからシャトルバスに乗っていく手筈で、集合時間も決められており、ゲートにはTMの関係者が勢揃いしていた。講堂の周辺は文教区域でもあるのだろう。それほど米軍基地ということは意識しなくてもよかった。ただ昼食は近くのカフェテリアで取ることになっていて、ここでまたアメリカ文化を感じることになった(因みに昼食はマック)。

コンテストは13時からで、司会進行は三笠の萩原氏が務めていた。三笠の会長はドレッドヘアが良く似合う黒人のビュシー氏で、このキニック高校の先生ということだった。力強く、それでいてしなやかなスピーチからは我々にはないものを感じた。ゲストとして基地の指揮官であるアームストロング氏が歓迎スピーチをされていたのが、いかにも米軍基地でのコンテストという雰囲気を醸し出していた。コンテストはまず日本語から始まり、モデルスピーチは東京バイリンガルの福重氏が「ほめ不足問題を考える」という題で行った。米不足に「ほめ」を掛け、日本人のほめ言葉の少なさを指摘し、まず自分自身をほめることから始めよう、というメッセージで締められたスピーチだった。

論評の準備時間を取った後、いよいよ前にも述べた手順で各出場者がビデオカメラのセットされた別室へと分散した。私の撮影担当は東京バイリンガルの西出氏で、個室で二人だけ、それもカメラを前に論評するというのは実際にやってみるとかなり違和感があり、人前でスピーチをするのとは別の緊張感が体の中を走った。撮影が終わると再び講堂へと戻り、聴衆の前でビデオを再生。出場者は5人だったが、ここでまた自分のスピーチを聴衆と共に観る(聴く)という行為に、話す時とは別の緊張感を強いられた。

表彰は英語部門が終わってから最後にまとめてするというこで、カフェテリアでお茶を飲んで休憩後、英語のビデオ論評の模様を拝聴し、結果を待った。英語のモデルスピーカーは三笠のオルソン氏で、出場者は8名だった。日本語部門の結果は1位:マッキンタイア(東京バイリンガル)、2位:川上(武蔵)、3位:小原(江戸)という順で、川上氏はまだチャーターしていない武蔵からの出場だったが、JTC時代はチャーター前クラブにも出場は認めていたので、このような結果になった。ちなみにこの時は武蔵と同じようにチャーターを目指していた東海クラブの鎌田会長が出場されていた。鎌田氏は旧やまのてクラブの解散時のメンバーで、名古屋方面へ転勤されて東海クラブの設立に参加されていた。英語部門の優勝者は東西の市橋氏だった。
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閉会後は東京バイリンガルの面々は三笠と打ち上げに流れ、日本語クラブの関係者は横浜へと移動し、駅ビルの崎陽軒で2次会を行った。最初で最後のビデオによる論評コンテストは緊張の連続とともに幕を閉じた。
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by inv-pyramid | 2007-09-02 18:39 | 1999年前半