人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] 井の中の蛙、大海を知らず

1998-1999年度クラブ会長を拝命して、それまでと最も変わった事と言えば、それはクラブ外との接点が増えたということだろう。国際本部やJTC、他クラブからの行事の案内などはすべて会長の所へ届く。会長はそれらの情報を捌き、必要な情報は漏れなく会員に伝えなければならない。それまでの自分がいかにクラブ内のことに留まっていたのかを知ると同時に、今までの会長があまり多くのこと、特に国際本部やJTCからの情報を伝えずにいたかを思い知ることになった。まさに井の中の蛙の心境だった。

何故国際本部等からの情報があまり伝わらずにいたかと言えば、それは連絡文書が英語だったから、ということに尽きる。日本語クラブの面々、それも普段英語に接する機会の乏しい人々にとっては、英文というだけで取捨選択の「捨」の方へ気持ちが行ってしまうものだ。私もどちらかといえばその部類であり、私の所へ届いた情報を全てクラブへ伝えていたかどうかは疑問である。

1999年初頭から、私の所へいくつかの英文の手紙が届いた。JTCやクラブからの行事の案内である。JTCからは「スピーカーズ・ビューロー」、「2010/2020ビジョン・コミッティ」等のお知らせ、他クラブからは前述の「全日本論評コンテスト」や「全日本テーブルトピックコンテスト」、「ホームページワークショップ」等の案内が来た。この年度は翌年度にディストリクトへの昇格を控えていたからか、色々と動きが活発にも見えた。JTCのマーケティング担当副ガバナーを務めていた渡辺N氏(前述の広報担当は誤り)という熱心な人の存在も大きかった。

これらの文書の中には、後に歴代のディストリクトガバナーに就任されるソーリー氏、ギボンズ氏、稲継氏らの名前も見受けられる。私がこれらの人々との邂逅を果たすのもこの年度からで、それも単に会長職に就いていたからこそ、そのような機会を持つことができたのだと言える。大海への船出の年の始まりであった。
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by inv-pyramid | 2007-08-11 12:26 | 1999年前半