人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[さくら編] 愉しきかな、英語クラブ

江戸で新役員就任式が行われた日の翌日の7月8日、私はさくらクラブを見学した。英語のみのクラブを見学するのは初めてのことで、見学初日は期待と緊張がない交ぜになっていた。とはいえ見学することにしたのは極めて軽い気持ちからであった。

さくらクラブはかつては有楽町トーストマスターズクラブという名称で例会も有楽町で行っていた。それなりに名を馳せたクラブであり、江戸例会にも男性および女性の児玉氏や青木氏、その他の会員がゲストで参加されたこともあって比較的馴染みがあった。名前が変わったのは無論、例会が有楽町で行われなくなったからである。初期の頃はJPモルガン社の会議室で例会が行われていたのが、場所の提供者が退会することで他の場所へ移ることを余儀なくされ、クラブ名も変えたとのことであった。クラブ名は外国人が考えたものらしく、地名にするのはまた場所が変わったときに困るので、日本を代表する花の名前がいい、という理由で今の名称になったそうである。「ジプシークラブ」の異名も持ち、私が見学した時は高田馬場で例会が行われていた。場所はどこかの予備校の教室を借りて行われていたが、この教室の使用料が1回1万2千円とまた高く、そのため会費も月2000円を3ヶ月ごとに徴収していた。まさに所変われば品変わるといった所で、私も話を聞いて驚きを隠せなかった。

さくらクラブもこの日が新年度の初日であったはずだが、新役員就任式は行われていなかった。会長は江戸にも参加している梶谷氏で、顔馴染みがいるということも見学を決めた理由の一つだった。例会は19時からで会員に外国人はいなく、日本人のみ10名前後が集まっていた。会場が教室ということもあってか、さながら英会話教室の様であった。人数が少なかったので、私にもすぐ Um-ah counter の役が振られた。私はとりあえずテーブルトピックが当たらなければ何とかなるだろうくらいにしか考えが及ばなかった。テーブルトピックはスピーチを挟んで2ラウンド設定されていたが、さすがにゲストということで指名されることはなかった。会員は総じて私と同年代が多く、あまり年配の方はいなかった。その辺が親しみ易さを感じた理由でもあった。

ちなみに私の心の中では、"Sakura" は「桜」ではなく「さくら」で、それはやはりクラブの雰囲気が柔らかく親しみ易かったからだと思う。3回の見学を経て入会を決めたのは単にその敷居の低さからであった。ゲストを繋ぎとめるにはやはり雰囲気が重要である。
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by inv-pyramid | 2007-06-10 01:16 | 1998年