人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[東京BL編] 駆け抜けた季節

東京バイリンガルはこの年、全日本スピーチコンテストを運営することが決まっていた。単独のクラブが日本語と英語両方のコンテストを運営するのは恐らく史上初の試みで、バイリンガルクラブという特殊性もあってか、この頃の東京バイリンガルには常に時代を一歩リードするような気風が感じられた。

そのようなクラブ事情の中で入会した私もまた、自分にとっての初の試みを次々とこなすことになり、コンテストまでの期間を一気に駆け抜けた。何しろ入会宣言したばかりの人間をいきなり次の司会者に指名するような人使いの荒いクラブである。いきなり最初のスピーチを振ることだけでも荒い(粗い?)と思っている私としては、相当な緊張感を強いられた。英語の司会ということは元より、クラブメンバーの連絡先すら知らないのである。教育担当のアーバクル氏からは後で、役の割り当て表が送られてきた。外国人会員というのは連絡が取りにくい人も多く、当時筑波から通われていたコール氏などは、何度電話しても通じなかった。最終的に予め割り当てられていた役割の半数近くが当日欠席するという有様で、このアバウトさもまたバイリンガルクラブならではのものであった。

続く5月20日の例会では、コンテストのクラブ内予選が行われたが、人数の多いクラブでありながら、出場希望者は日本語3名、英語4名ということで、運営クラブの割には盛り上がっているのは一部の会員のみで、他は無関心というお寒いクラブ事情も垣間見えた。他に希望者がいないので、入会したばかりの私は日本語コンテストへの出場に手を上げた。これでどうにかコンテストの体裁を保つことができた。結果は1位安達氏、2位コール氏、3位私ということで、安達氏は関東から出場することを表明し、東京バイリンガル代表はコール氏に譲ることになった。英語はタムラ氏が1位でサッカーのフランスW杯ネタのスピーチをされていた。

そして6月3日例会にて、ついに英語での初スピーチを披露することになった。普段英語を使うことのない人間による英語スピーチなので、メモの使用はもちろんのことであったが、使い方に少々工夫を加えた。結局はそれが裏目となって散々な出来であったが、主に外国人会員の方々からは前向きなアドバイスを頂き、バイリンガルクラブの良さを感じていた。

5月、6月というのは例年クラブの中では慌しい季節である。全日本スピーチコンテスト運営というゴールへと向かうクラブ事情の中で入会した私もまた、その慌しい雰囲気に合わせるかのごとく、あれよあれよと役割をこなすばかりであった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 09:05 | 1998年