人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[東京BL編] 黄金の日々

東京バイリンガルクラブほど浮き沈みの激しいクラブも珍しい。私が参加した頃が恐らく最高潮だったと思う。在籍期間は1年半ほどであったが、多くの素晴らしいメンバー、ユニークな人々との出会いがここでもあった。

1998年1月21日、水曜日。この日が東京バイリンガルに初めて参加した日であった。ちょうど前日に江戸例会があり、そこで東京バイリンガルのパイザー会長がスピーチをしに来ていたので、私も東京バイリンガルの例会に参加したい旨申し入れした。私は江戸に入会してここまでの間、他のクラブを訪問したことはない。であるからして英語もやっているクラブに参加することは意義のあることだった。大嶋夫妻が既に入会されていたこともあって、幾分緊張感も薄まった。

その頃、東京バイリンガルは日比谷のNTTの社屋を拠点としていた。これは会員の中にNTTの方がいたからである。毎回例会日に通用口の守衛室にクラブの名簿がおいてあり、この名簿で自分の名前をチェックして入館するのがこの頃の一つのルールであった。まだセキュリティ対策にも緩い時代ならではという気がする。

開始時刻は19時からで、2時間の内1時間が英語、もう1時間が日本語というやり方だった。ユニークなのは、ある日が英語が先の時は次の会は日本語が先といった具合に言語の順番が交互に入れ替わることである。司会者は英語、日本語それぞれの部で立てられ、例会の準備もそれぞれで行っていたので、2時間の中で2回の例会を行っている感があった。そのため最初の1時間の開始時刻が遅れたり、終了時刻が延びたりすると次の部に影響が出て、最終的な閉会はいつも21時30分頃になるのはざらであった。またプログラムには例会の通し番号や、プログラム進行上の各役割の時間などは明記されず、いい意味でも悪い意味でもアバウトさがあった。外国人の多いクラブというのはこんなものかな、というのが正直な実感であった。

それでも会が始まるとそれなりの緊張感に包まれたのは、やはり外国人や帰国子女のメンバーが多かったからだろう。言語のレベルは非常に高かった。英語単独のクラブと比べてもまったく遜色のないほど、当時はクラブに勢いがあった。まさに黄金の日々であった。
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by inv-pyramid | 2007-02-08 02:56 | 1998年