人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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端境期その2

江戸クラブにおける1997年は端境期のような年であったと以前書いたが、個人的にもこの年は色々な意味で端境期であった。

12月2日の第197回で私は実に1年ぶりにマニュアルの課題スピーチをした。基本マニュアルの10の課題は終えていたがまだCTMの申請はしていなかった。そうこうしている内に新しいメンバーが次々に入会して、次第にスピーチの機会が失われてしまった。一方で10の課題を終えて、上級プログラムに取り組むかどうかにはまだ逡巡があった。一つには上級マニュアルがまだ翻訳されておらず英語版しかなかったこともある。これが日本語クラブのメンバーにとって一つの壁となる所で、当時は基本マニュアルを終えてもCTMを申請する者はほとんどいなかった。10本のスピーチを終えるとまた最初から行うか、同じプロジェクトを繰り返すかのケースになることがほとんどだった。私はそのどちらにも興味を覚えなかったが、1年振りにスピーチをすることになって、とりあえずマニュアルの最後に上級へのステップとして付いている、上級スピーチ・楽しませる話し手で行うことにした。

「ネットの外の人たち」というのがその題で、90年代になって加速し始めた通信ネットで築かれる人間関係よりも、その外側、つまり実社会でのお互いに顔を見せ合ったネットワーキングの方がどんなに素晴らしいか、ということを訴えたスピーチであった。何故こんな話題を取り上げたかというと、当時はパソコン通信からインターネットへと移行するまさに端境期で、私はTM以前はパソコン通信での付き合いにのめり込んでいたが、TM入会後はスピーチを通して出会う人々とのつき合いに魅力を感じ、次第にパソコン通信から遠のいていた。その間に主流になりつつあったインターネットには少し乗り遅れていて、本格的なインターネット環境を整えるためにはパソコン等のハードを一新する必要があったが、面倒に感じていた。そのような個人的な背景から前述のようなスピーチが生まれたのである。

西暦2007年の現在では当たり前の様に行っていることも、1997年当時ではまだ手探りの状態にあった。TMのゴールであるDTMの一歩手前まで行くことになるとは努々思ってもいない。この壁を越えるのは翌年の1998年からであった。
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by inv-pyramid | 2007-01-20 02:56 | 1997年