人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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トーストマスターズとディベート

1990年代、ディストリクト76つまり日本地区がまだ日本トーストマスターズ評議会、略してJTCと呼ばれていた時代はディベートに関するイベントが盛んに行われていた。それは一つにはディベート研究所を主宰されていた井上氏の存在もあるだろうし、ディベート好きな会員が多かった、否その様な活動をすることが目的でトーストマスターズに入ってきた人が多かった、ということもあるだろう。江戸クラブにもその様な論客が結構いた。手元の資料には「クラブの会員数が増えてくると討論会が重要になってきます。クラブ内での意見交換ばかりでなく、討論の題目として現代に関わる重要な問題などを選ぶことによって、他のクラブの人々と共に問題点に対する知的な意見を作り出し、自分のものとしていくことができます」とある。つまり討論のトレーニングの一環としてディベートが位置づけられていたわけである。

ちなみにトーストマスターズのマニュアルにもディベートハンドブックなるものが用意されているが、トーストマスターズ全体の中での位置づけはそれほど大きくはない。それはアメリカでは学校教育の中でディベート教育も行われ、日常的に行われているからだろうか。日本でも主として教育団体を中心としたディベート協議会などがあり、普及活動が行われている。トーストマスターズのメンバーには教員の方も多いので、その様なメンバーが中心となって、ディベートコンテストやワークショップが毎年行われてきたという側面もあると思う。

この頃はまだ日本語クラブも数が少なかった(関東2、中部3、九州1※正クラブのみ)ので、どのクラブも毎年必ず何かのコンテストを運営していた。その中で江戸クラブは実に3回もディベートコンテスト、ワークショップを運営していた。ディベートコンテストは事前に論題を決め、それに関する定義付けや資料の収集など準備が大変であり、なおかつメンバーのディベートに関する認識を高めるため、ディベートのやり方の勉強などもしていたので手間がかかった。一部のディベート好き会員に引っ張られていた面もある。しかしそれでも何度もこのイベントを運営したということは、クラブにとっては貴重な財産になっていたのかも知れない。コンテスト運営もディベートも初心者の私としては、ただ半信半疑でついていくだけだった。
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by inv-pyramid | 2006-09-07 23:50 | 1995年