人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

やまのてクラブ前史

話が前後するが、私は江戸クラブに入会してすぐ、やまのてクラブにも参加していた。これは現在中目黒を拠点に活動しているやまのてクラブではなく、そのルーツとも言える旧やまのてクラブのことである。当時は代々木の集会施設で月1回例会を行う日本語のみのクラブだった。

旧やまのてクラブは江戸クラブの浪川氏(現在は東海クラブ)、久田氏を中心に日本語クラブのさらなる発展を願って結成され、1993年1月から活動を開始していた。名前の由来は山手線の沿線各駅に一つずつ日本語クラブがあったら、という理想を反映したもので、最盛期の会員数は12名。惜しくもチャーターには至らなかったが、江戸クラブのメンバーも適宜応援して、約20回ほどの例会を行った。結局最後の方は会員が3名になってしまい、解散という結末を迎えてしまった。

私は江戸クラブとは微妙に雰囲気の異なるこの旧やまのてクラブが好きで、毎回参加していた。そして解散ということになった時、いつかこのクラブを再興したいと思い始めていた。後に他のクラブの設立に参加して、クラブ設立の手順を覚えながら、2001年になってようやくバイリンガルクラブとして現在のやまのてクラブを立ち上げるに至ったのだから、まさに執念である。現在のやまのてクラブについての話は、またいずれ述べたい。なお、旧やまのてクラブの備品の一部は解散時に私が預かり、現在のやまのてクラブに一部を引き継いでいる。
[PR]
by inv-pyramid | 2006-08-14 12:52 | 1994年