人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

タグ

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

[横浜&武蔵編] D76P論評WS&コンテスト打合せ(その3)

クラブ内論評コンテストが連続して行なわれている中、ディストリクトの論評ワークショップ及びコンテストまで3週間足らずという状況になっていた。10月に入って横浜クラブより急遽打合せの申し入れがあり、10月4日(水)19時から内幸町の中尾氏の事務所で打合せを行うことになった。急な話だったので武蔵からの参加者は私だけとなった。

議題としては、前回の打合せまではワークショップの話が中心でコンテストの詳細を詰めていなかったので、その話題を中心とした。まずコンテストの順番は英語、日本語の順で、コンテスト委員長は英語が中尾氏、日本語が梅本氏。表彰は最後に英語、日本語まとめて行なうこととした。備品関係、プログラムの印刷等は吉田氏、名簿のまとめは私が担当となった。出場者はこの時点ではまだ出揃っていなかったので、テストスピーカーなどの選定はこの時点ではできなかった。

そして最後の打合せが1週間前の10月16日(月)、内幸町の吉田氏の事務所で行なわれた。直前なので、プログラムの最終確認が主であった。コンテストの出場者は英語が5名、日本語が6名という所であった。論評コンテストは英語に関しても各クラブの優勝者が全日本へ進むことになっていたが、この頃は全日本を謳いながらも、スピーチコンテスト以外のコンテストで全国から人が集まるのは稀であった。テストスピーカーはワークショップが英語が横浜の浅井氏、日本語が東海の加藤Y氏、コンテストが英語が横浜の細田氏、日本語が江戸の池田氏と決まった。

私の懸案事項はトロフィーの彫刻プレートをどうするかということであった。というのもディストリクトになってからの初のコンテストであるため、その「ディストリクト」という言葉を日本語で彫る時にどう処理するかを考えていた。稲垣氏に相談した所では、「地区」とすると、「ディビジョン」や「エリア」にうまい訳語がないので、意味的には「日本支部」が近いが、当面「ディストリクト」で良いのではないか、ということであった。この当面が結局現在まで続くことになるのだが、今もって日本語にした時は別の言葉に置き換えられないか、と思っている。

トロフィーの彫刻は、一文字いくらが相場なので、文字数が少ないに越したことはないのである。その意味では英語より日本語の方が文字数が少ないので多少は安くなる。いかにして文字数を減らすか、それが最後の課題であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2010-05-03 22:42 | 2000年後半