人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[D76P編] 第1回ディビジョンA評議会

9月15日(金)11時より、神保町にあるスピーキングエッセイの事務所で、ディビジョンAの第1回評議会が行われた。参加者は稲垣ディストリクトガバナー、大嶋TディビジョンAガバナー、ソーリーエリア2ガバナー、松崎エリア3ガバナー、岡本エリア4ガバナーの各氏とエリア1ガバナーの私。当時のディビジョンAは5エリアで、もう一人エリア5ガバナーに稲継氏が就任されていたが、関西圏にお住いのため不参加であった。何故関西の稲継氏がエリア5ガバナーだったのかといえば、東京フェニックスに所属されていたからであった。当時の東京フェニックスはTM界の重鎮が集まる上級クラブで、東京フェニックス以外のエリア5のクラブはみな東日本の地方クラブであり、東京フェニックスがそれらをサポートするという構図であった。スピーキングエッセイの事務所はJTC時代より、大嶋R氏の好意で幾度か各種会合の場所として使われていた。

トーストマスターズではディストリクトのみならず、ディビジョン、エリアそれぞれでも評議会を持つことになっているので、この会合はそれを実践した格好であった。ちなみにディビジョン評議会はディビジョン役員と各エリアガバナーのみで構成される。今回の議題は、これから行なわれる各コンテストとワークショップの運営方法をどうするか協議することであった。とりわけJTC時代と異なる点がコンテスト収入の扱いで、基本的には収益があった場合はディストリクトへ入れることになっていたが、各クラブにはその考えがまだ浸透していないため、その方針を周知させる必要がある、ということになった。

私は参加者全員とは面識はあったが、ソーリー氏、岡本氏と密に言葉を交わすのはこの日が初めてであった。このお二方とはその後、様々な局面でご一緒させて頂くことになるので、この日がお互いをトーストマスターとして認識した日であったと思う。

会合はソーリー氏が参加されているため英語で行われていたが、私は日本語しか出来ないため、私が話す時は日本語にさせて貰った。9月のこの時期では各エリアガバナーともまだクラブ訪問をしている最中という所だったが、岡本氏は少し抜きんでていて、各クラブ3役とエリア評議会を構成されていたり、鎌倉クラブの設立準備に入られたりしていた。

この日は小1時間ほどの会合の後、昼食を取って解散した。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 14:49 | 2000年後半