人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[Leader-ship編] 土曜日のクラブを創ろう

8月26日(土)10時より、新宿駅西口地下街の喫茶店で新クラブ設立のための準備会が行なわれた。後に " Leadership Toastmasters Club "と命名される英語クラブである。発起人は稲垣氏で、呼びかけに応じたのは、東京の我妻氏、湘南の小林S氏、そして私の4人であった。この時点ではまだクラブの名称までは決まっておらず、「土曜日トーストマスターズを造る会」という仮称にしていた。

最近は土曜日のクラブも乱立気味であるが、この当時の首都圏では、土曜日に活動しているクラブは神奈川県内が主で、他に筑波や千葉に点在するのみ、都内では羽村のウェスト東京があったが、23区内には英語はもちろん、日本語のクラブも存在しなかった。つまり、都内のクラブは勤め帰りの社会人が主な参加層なので平日クラブ、郊外は土日が休みの社会人他が参加する週末クラブという図式であった。しかし、中には勤め帰りでは平日クラブには参加できない方もいる。このためその様な方々は、土曜日に例会を行なうクラブを選択する他はなく、他県から越境して神奈川県のクラブに参加していた方もいた。

私はこの現状を見て、エリアガバナー就任時に稲垣氏に「都内には土日のクラブがありませんね」と漏らした所、「ならば創りましょう」、とすかさず返事があった。こうして稲垣氏が主だった方々に声を掛け、この日の準備会に漕ぎ着けた。稲垣氏が打合せメモに上げたスローガンは下記3つであった。

・日本初の「時間軸」に着目した新クラブ設立で多くの人にトーストマスターズを提供。
・地域(空間軸)は、東京都及び北関東などで特定の地域に属さない。
・土曜日にスピーチをしたい方は誰でも仲間

スケジュールとしては、9月にコアチームを結成し、10月までは広報活動、そして11月にデモ例会という流れが提示された。稲垣氏の構想としては、デモ例会に40名程度の参加者を呼び、その日の内に20名のチャーター基準を満たせたら素晴らしい、ということであった。これは一件絵に描いた餅の様な話にも聞こえたが、後にこれに近い形でチャーターしたクラブも出現したことを考えると、これくらいの意気込みがあった方がいいということだろう。参加者4人の内、3人が英語クラブの方で日本語クラブの参加者は私だけだったので、英語のクラブにすることがほぼ既定路線という雰囲気だったが、稲垣氏の発案で年に何度か日本語の日を設けて、日本語例会も行なうバイリンガルクラブはどうか、という案も出された。我妻、小林の両氏も賛同されたので、私も若干溜飲を下げた。

喫茶店のモーニングセットをつつきながらの議論はこの後、クラブ設立の焦点とも言えるクラブ名の検討に移った。みなそれぞれに考えがあり、" Metoropolitan ", " Capital ", " Akebono ", " Asahi ", " Subaru ", " Saturday Talkers " 等の案が出された。流石にこの場ではまとまらないのでクラブ名については持ち越しとなった。

我妻氏の都合で会合は11時で終了、他のメンバーはまだ時間があるということで、会場を新宿南口の某ホテルのラウンジに移して2次会を行なった。ここで準備金の話になり、この場の3名が1万円ずつ出し合って3万円を原資とした。チャーターまでは小林S氏が会計を担当することになった。また小林S氏はこのクラブ設立をハイパフォーマンスリーダーシップのテーマとしたい旨要望されたので、稲垣氏と私が協力することになった。この時点では私はハイパフォーマンスリーダーシップの「ハ」の字も知らなかったので、ただ従うのみであった。

実はこの日の午後、私は大嶋R氏のスピーキングエッセイの会合でモデルスピーチを行なうことになっていたのだが、その話をすると小林S氏は、新クラブの協力者を募りたいので同行したい旨申し出られたので、一緒に会場である東京国際フォーラムへ出掛けた。小林S氏とはこの後クラブがチャーターするまで活動を共にすることになったが、その行動力、決断力にはただ圧倒されるのみであった。

こうして武蔵、鶴ヶ島に続いての3つ目のクラブ設立への参加と相成ったが、このクラブへの参加は私にとって大いにプラスになるものであった。
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by inv-pyramid | 2010-01-17 21:38 | 2000年後半