人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[JTC編] 或いはグランドキャニオンへの入り口

大阪の知人宅で泥酔した翌朝、気分も優れぬまま、再び西神オリエンタルホテルへと向かった。翌21日は役員研修会とJTC総会が行われた。午前中は日本語と英語クラブに分かれての役員研修会。若干遅刻した。既に梅本氏による各役員の役割等の説明が始まっていた。参加者は10名にも満たなかった。英語コンテストとの併設、しかも関西での開催とあってはそれもまた致し方のないことであった。梅本氏による研修は武蔵の事例を取り入れての説明で、分かりやすくまとめられていた。

そして午後からはJTC総会が行われた。JTCとして最後の総会となるため、重要な議題がいくつもあった。キルパラニガバナーの挨拶と共に、冒頭でまずJTCが準ディストリクトとなる申請が国際本部へなされ、7月1日からディストリクト76Pとなることが報告された。これがこの年度最大の実績であった。続いては今年度にチャーターされたクラブ、武蔵、東海、東神戸の報告。次年度に設立予定のクラブとして、筑波バイリンガル、京都、徳島が紹介されている。周年記念としては、岩国10周年、沖縄15周年、厚木座間30周年、東京50周年などが紹介された。

広報活動の著しい実績としては、広報担当の稲継氏によるディストリクト76P用の新ドメインの設置、及びホットラインとしての専用電話番号の提供が挙げられた。稲継氏はホームページの立ち上げに特に尽力され、そのためのワークショップも開かれていた。会計報告では、会計役員の藤山C氏より年間の報告と、準ディストリクトになって変わることとして、今までは国際本部からの資金援助はなかったが、準ディストリクトになると運営資金は本部からの拠出となる旨、説明がされた。

休憩を挟んで、焦点となる準ディストリクト後のエリア編成に関する協議が行なわれた。JTC案はディビジョン制が導入による、2ディビジョン、8エリアの編成で、構成は次の通りであった。

ディビジョンA(東日本地区)
エリア1:江戸、はま、武蔵、東京バイリンガル、(筑波バイリンガル)
エリア2:東京、関東、ブレックファスト、ICF千葉、キーフォース、筑波
エリア3:ACCJ、さくら、東西、福生、西東京、埼玉、イーストウェスト
エリア4:厚木座間、田園都市、三笠、湘南、横浜
エリア5:札幌、新潟、仙台、東京フェニックス

ディビジョンB(西日本地区)
エリア51:愛知、東海、春日井、肥後、熊本、名古屋
エリア52:沖縄、パシフィックパールズ、福岡、大宰府、北九州、飯塚
エリア53:東神戸、関西、大阪、岩国、岡山

全43クラブである。東京フェニックスとキーフォースはこの時点ではまだチャーター申請中で、次年度にチャーターされる予定であった。この頃はまだ沖縄にも2つのクラブがあった。所属クラブが60になると準地区から正地区になるとのことであった。

コンテストについては、総会までに全てが決定していた。従来まで行われていたディベート及びほらふきコンテストは開催なしで、残る4つが正式コンテストとして残されれた。これはディストリクトが開催できるコンテストは年間4つまでという規定のためであった。但しこの解釈については、意見の分かれる部分もあった。ディビジョンコンテストはまだ行なわれず、英語はエリアコンテストとディストリクトコンテスト、日本語はディストリクトコンテストのみという従来の方式が維持された。

そして最大の焦点、役員選挙である。ディストリクトガバナーには、指名委員会選出の候補者として稲垣氏、対立候補として筑波の林氏が立候補されていた。結果は稲垣氏が当選。教育訓練担当副ガバナーには埼玉の佐々木氏、マーケティング担当副ガバナーに大町氏、ディビジョンAガバナーは大嶋T氏、同Bガバナーには山中氏が選出された。私はエリア1ガバナーで、もう一つの日本語バイリンガルエリアであるエリア51のガバナーには嶋田氏が任命された。

私が関係するクラブは、秋の論評コンテストを英語が横浜、日本語を武蔵が運営。春のスピーチコンテストは英語が東京で日本語を江戸が担当することになっていた。春のコンテストについては、東京と江戸で共催する合意は取れていたので、その場で東京の新会長福井氏に挨拶した。

かくしてJTCはその役割を終え、ディストリクト76Pへと移行する体制となった。それは逆ピラミッドに例えれば、グランドキャニオンの入り口に立ったようなものであった。
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by inv-pyramid | 2009-08-01 11:26 | 2000年前半