人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[名古屋編]  JTC時代最後の全日本スピーチコンテスト

6月11日の午後からは、犬山国際観光センター・フロイデにて、日本語の全日本スピーチコンテストが行われた。台・日合同例会参加組は車で移動して慌しく犬山のスーパーの飲食店街で食事を取った。JTCとしては最後となる全日本スピーチコンテストの運営は名古屋クラブが行った。日本語クラブの聖地名古屋で、日本語クラブの開祖である名古屋クラブが最後のコンテストを仕切るのも、きっと何かの縁だったのだろう。出場者は総勢10名で、台湾のクラブやこの年チャーターしたばかりのイースト神戸クラブのメンバーも出場していた。イースト神戸は当時はまだバイリンガルクラブで、この日の出場者も、ニュージーランド人留学生だった。

13時より開会で、開会宣言はまず名古屋の重鎮山中氏。重鎮の山中氏が総合司会で身の引き締まる思いがした。続いてキルパラ二氏、名古屋会長の孔井氏の順でスピーチ。審査委員長は大嶋T氏。コンテストスピーチは下記の通りだった(発表順)。

森口(熊本) 「1ドルのおもみ」
呂(太平洋) 「ごみゼロ社会」
フィリップス(イースト神戸) 「日本にいる留学生」
近藤(春日井) 「名古屋人だがね」
河田(愛知) 「長寿の光と影」
小原(江戸) 「つかの間の故郷へ」
李(成功) 「ガラクタ喫茶店」
西村(東海) 「専門店 推奨委員会」
杉山(名古屋) 「心に残る先生」
近藤(武蔵) 「ハンガーサイトをクリックして下さい」

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私は江戸からの出場で、6番目。スピーチは登山がテーマで、「頂上に登るのがゴールではなく、無事に帰って来ることが大切」、ということを身振り手振りを使って表現した。一つの試みとしては椅子をステップとして使い、登るという動作を見せたこと。最近でもどなたかがやられていたが、水平方向でなく垂直方向にも動くというのは意外性があると思う。その甲斐あって3位入賞。1位は台湾の李氏、2位は東海の西村氏。ひねりという点では私にはないものを感じた。
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コンテスト後は同じ場所で懇親会。ポットラック形式で和気藹々と行われた。台湾の方々は翌日は詩吟の発表会とのことで、懇親会終了後はまた名古屋まで戻られた。当時まだ出来たばかりだったマリオットホテルにお泊りとのことで、ロビーの喫茶室で終電ぎりぎりまで談笑していた。
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by inv-pyramid | 2009-06-02 23:05 | 2000年前半