人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

[さくら編] 桜色vs黄金色・東京との合同例会

4月6日(木)大手町のM物産ビルで、さくらクラブと東京クラブとの合同例会が行なわれた。弱小クラブと大クラブの顔合わせという感じだったが、さくらの方が引けを取っているような感じはなかった。それはやはりメンバーが実力派揃いということもあったと思う。決して贔屓目ではなく。ただ、それまで東京との接点はあまり感じなかったので、何故合同例会を行なうことになったのかはよくわからなかった。

大手町のM物産ビルといえば当時の東京の本拠地で、私からすれば何となく敷居が高い感じだったが、この合同例会のおかげで初めて足を踏み入れることができた。大手町の地下鉄出口に直結したビル入り口にタリーズがあり、東京のメンバーはここでよく飲み物を仕入れてから会議室に足を運ぶようだった。

当日の参加者は両クラブ合わせて30名弱、内さくらは10名弱というところで、さくらとしては参加率がよかったと思う。東京との合同例会は、私は東京バイリンガル参加時に経験済みだったので、東京のメンバーには顔馴染みも多かった。大御所の我妻、P藤山氏や植木氏、ガバナーのキルパラ二氏や前年のコンテストに出場した福井氏など、私から見れば錚錚たる顔ぶれだった。当時の会長はカーツ氏で、P藤山氏によればこのカーツ氏とキルパラニ氏が当時の東京の2枚看板ということだった。

今夜のトーストマスターは超ネアカ人間のクイグリー氏。自他共に認める陽気なキャラクターで、翌年度の江戸と東京との共催によるスピーチコンテストでは中心となる人物だった。例会プログラムはさくらクラブに敬意を表してか、それとも単に桜の季節だからか、ピンク色の用紙で印刷してあった。私の役割はアーカウンターで、少ない見せ場で目立つため、吹き出しの小道具を作って持参した。カーツ氏が例会後に感想を寄せてくれた。テーブルトピックス、スピーチ、論評とも両クラブ均等に振り分けられたので、テーブルトピックスも2ラウンド行なわれた。さくら側のマスターは当時ビジュアル面での看板だったC山田氏。何故さくらに参加していたのかよくわからないほどの美貌の外国人女性で、合同例会では東京のメンバーの注意を引くのに十分だった。

スピーチは会長対決ということで、カーツ氏と斉藤氏が行なった。二人とも後のスピーチコンテスト出場予定者であった。論評は両クラブ大御所対決で、東京が富田、植木、さくらが児玉、青木氏。総合論評はP藤山氏。P藤山氏は何を思ったのか、この後さくらに入会することになった。

例会後は東京クラブ恒例のソーシャルアワー。東京は2次会を行なわないので、例会後は同じ部屋に軽食を持ち込んで、30分ほどの歓談の時間を持つのが慣わしだった。しかしさくらのメンバーはそれでは物足りないので、その後で2次会へと流れた。

私見としてはこの前後が東京クラブの黄金期だったと思う。もちろん50年以上の歴史を持つクラブなので、それぞれの年代での黄金期があるとは思うが。私はこの後、コンテスト、新クラブ設立と2005年頃まで東京のメンバーとはよく関わる事になったので、この合同例会は顔合わせ的な意味を持っていた。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-01-16 15:58 | 2000年前半