人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。
by inv-pyramid
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[江戸編] 東京バイリンガルとの合同例会(アウェイ編)
12月6日(水)19時より、有楽町の東京都生涯学習センターで、江戸と東京バイリンガルとの今期2回目の合同例会が行なわれた。公平にお互いのホームで1回ずつ合同例会を行なうという取り決めで、日本語クラブに合わせて日本語だけの例会、というスタイルは前回と同じ。ただ参加者に顔ぶれだけが前回と若干異なっていた。勿論東京バイリンガルのホームなので、相手クラブの会員の方が多いのは確かだが、前回の合同例会以降に入会された方が何人かいた。
[東京&江戸編] D76P全日本スピーチコンテスト打合せ(その3)
台湾から帰国して中1日の12月5日(火)19時より、東京ウィメンズプラザで3回目の全日本スピーチコンテストの打合せが行なわれた。第1火曜は江戸の例会日だったが、この日は翌日に東京バイリンガルと合同例会を行なうため休会としていた。コンテストの半年前ということで、内容も具体性を帯びてきた。
主な打合せ内容は次の通りであった。
1.会場正面の吊看板について
2.各クラブへの案内状について
3.基調講演者について
4.受付について
5.会費について
6.パーティーについて
7.広報活動について
どの議題も焦点は、東京と江戸、英語と日本語の割合をどうするかということで、例えば吊看板では、記入する文字を英語のみにするか、日本語も入れるか、案内状なら英語クラブは英文だけにするか、和文も入れるか、受付は英語は東京のみ、日本語は江戸のみで行なうか、などである。英語クラブと日本語クラブの共同作業には必ず付き纏う問題である。会議に外国人が入れば話す言語にも気を使う。しかし最終的には双方の妥協点を見出して結論を出す必要がある。
受付などは江戸は少人数の参加しか見込めないのだから、東京の全面的な支援を受ける必要があった。江戸としては、要所要所で特技を発揮できる所で主導権を握った。当時江戸にはグラフィックデザインを手がける池田氏がいた関係で、案内状やプログラムのデザインは池田氏に任せることになった。
主な打合せ内容は次の通りであった。
1.会場正面の吊看板について
2.各クラブへの案内状について
3.基調講演者について
4.受付について
5.会費について
6.パーティーについて
7.広報活動について
どの議題も焦点は、東京と江戸、英語と日本語の割合をどうするかということで、例えば吊看板では、記入する文字を英語のみにするか、日本語も入れるか、案内状なら英語クラブは英文だけにするか、和文も入れるか、受付は英語は東京のみ、日本語は江戸のみで行なうか、などである。英語クラブと日本語クラブの共同作業には必ず付き纏う問題である。会議に外国人が入れば話す言語にも気を使う。しかし最終的には双方の妥協点を見出して結論を出す必要がある。
受付などは江戸は少人数の参加しか見込めないのだから、東京の全面的な支援を受ける必要があった。江戸としては、要所要所で特技を発揮できる所で主導権を握った。当時江戸にはグラフィックデザインを手がける池田氏がいた関係で、案内状やプログラムのデザインは池田氏に任せることになった。
[台湾編] 朝からトップ会談
翌朝はホテルで朝食後、ウーDGとご主人のイエン氏が来訪された。騒がしい宴席ではあまり話ができなかったのだろうか、朝から稲垣DGを交えて会談が始まった。私と山中氏もガバナーということで何故か同席。イエン氏とは昨年、天母クラブでの合同例会で少しだけ言葉を交わし、名刺も頂いていたのだが、流石に私のことは覚えておらず、2枚目の名刺を頂戴することになった。

この後、観光組と分かれて私は一人空港へと向かった。稲垣DGは私の後の便で帰るとのことだった。
台湾ツアーはこの後毎年の様に組まれているが、私の訪台は前年とこの年で留まっている。それは家庭環境の変化が理由であった。この2度の訪台は、単独で気軽に海外へ行けた頃の良き思い出である。

この後、観光組と分かれて私は一人空港へと向かった。稲垣DGは私の後の便で帰るとのことだった。
台湾ツアーはこの後毎年の様に組まれているが、私の訪台は前年とこの年で留まっている。それは家庭環境の変化が理由であった。この2度の訪台は、単独で気軽に海外へ行けた頃の良き思い出である。
[台湾編] 懇親会は仮面舞踏会!?
合同例会の後、近くのレストランに場所を移して懇親会となった。ここで今年も台湾流の趣向で、参加者全員に仮装が施されることになった。我々の分も用意してあるとのことで、ここまで来たら、郷に入れば郷に従えということだろう。さながら仮面舞踏会という雰囲気であった。

白雪姫と小人、サンタクロース、etc。

桃園のみなさんと歓談。

仮面舞踏会に続いてカラオケタイム。もちろん日本語。ただし曲の数が少ないので歌える曲はあまり選べなかった。

宴たけなわの頃、台湾のウーDGが合流。稲垣DGとハイタッチ。

帰路は台北まで電車で帰った。満員の車内で約1時間立っていた。ホテル到着後、渡辺兄弟と怪しげな車に乗り込み、足裏マッサージの店に入った。店の中も怪しげな雰囲気だったが、痛いほどのマッサージは心地よかった。帰りもどこをどう走ったのかもよくわからずホテルへ戻った。


白雪姫と小人、サンタクロース、etc。

桃園のみなさんと歓談。

仮面舞踏会に続いてカラオケタイム。もちろん日本語。ただし曲の数が少ないので歌える曲はあまり選べなかった。

宴たけなわの頃、台湾のウーDGが合流。稲垣DGとハイタッチ。

帰路は台北まで電車で帰った。満員の車内で約1時間立っていた。ホテル到着後、渡辺兄弟と怪しげな車に乗り込み、足裏マッサージの店に入った。店の中も怪しげな雰囲気だったが、痛いほどのマッサージは心地よかった。帰りもどこをどう走ったのかもよくわからずホテルへ戻った。

[台湾編] 桃園での合同例会(その2)
合同例会は桃園の市街地の中にある小学校の講堂で行われた。台湾側は成功クラブの他、台北の太平洋、平和クラブの方々も来られていた。稲垣DGはここから合流し、最初に挨拶。

成功クラブ会員の双子のお孫さんによる挨拶。

笑い話は例によって早い者勝ちで矢継ぎ早に小話が続いた。

今回の私の役割は、平和クラブの方のスピーチの論評。「自転車に乗って」という題のスピーチは、台湾の自転車事情を綴った内容で、論評では視覚器材の使用などについて改善点を上げた。少し気合いを入れた甲斐もあって、最優秀論評者に選ばれた。




成功クラブ会員の双子のお孫さんによる挨拶。

笑い話は例によって早い者勝ちで矢継ぎ早に小話が続いた。

今回の私の役割は、平和クラブの方のスピーチの論評。「自転車に乗って」という題のスピーチは、台湾の自転車事情を綴った内容で、論評では視覚器材の使用などについて改善点を上げた。少し気合いを入れた甲斐もあって、最優秀論評者に選ばれた。



[台湾編] 桃園での合同例会(その1)
12月2日(土)、ホテルで朝食後、桃園成功クラブの梁氏らが我々を迎えに来られた。車に分乗して合同例会が行なわれる桃園へと向かった。午前中は観光ということで、途中の陶芸の里、鶯歌に寄った。まだ真新しかった陶磁博物館に案内され、展示物を見学した。何故か全員に目印として日本の某自動車会社の帽子が配られた。

鶯歌からは、当時台湾最大のロックフィルダムと言われた石門ダムを経由した。横幅のあるダムで通行した道路からはダム湖側は見えなかった。石門ダム近くの活魚料理店で昼食となった。

巨大な生簀で泳ぐ淡水魚を客の前ですくい上げ、それを料理して出すというスタイルの料理店。全員が一度に座れる円卓で、これでもかと言うばかりの魚料理が振る舞われた。

一同満腹となった所で、いよいよ桃園の合同例会場へ向かった。空は穏やかに晴れていた。

鶯歌からは、当時台湾最大のロックフィルダムと言われた石門ダムを経由した。横幅のあるダムで通行した道路からはダム湖側は見えなかった。石門ダム近くの活魚料理店で昼食となった。

巨大な生簀で泳ぐ淡水魚を客の前ですくい上げ、それを料理して出すというスタイルの料理店。全員が一度に座れる円卓で、これでもかと言うばかりの魚料理が振る舞われた。

一同満腹となった所で、いよいよ桃園の合同例会場へ向かった。空は穏やかに晴れていた。
[台湾編] 夜間飛行で台北入り
12月1日(金)に東京発組が成田に集合して、台北へ飛んだ。今回も名古屋組と東京組に分かれての出発であった。東京組は、はまの佐々木、豊坂氏、東海の渡辺氏の妹の渡辺R氏、そして私の4名。今回は夕刻発で台北には夜着の夜間飛行であった。成田に着くと私以外の3名は既に集合場所に到着していた。3名とも思いの外軽装なのでちょっと驚いた。少し時間があるので、空港売店のコピー機で江戸の会報、江戸倶楽部通信をコピーした。合同例会で配布するためである。今回は金曜夜に台北入りし、土曜日の午前は台湾観光、午後が桃園で合同例会、夜懇親会、という予定であった。そして私は日曜に帰るのだが、他の人は日曜は1日観光とのことであった。
台北に着き、名古屋組と合流。現地の案内人が出迎えてくれた。名古屋組は団長の山中氏を筆頭に、名古屋の犬塚、今枝、杉山氏、愛知の舘、奥山氏、そして幹事の東海渡辺Y氏。稲垣氏は土曜日に合流する予定であった。一同チャーターバスに乗って空港から台北市街へと入る。ホテルは昨年よりは確かにグレードが落ちた感じだったが、ごく普通であった。夕食はどうするのかと思っていたら、これから士林の屋台へ繰り出すとのことであった。かくして一同、地下鉄に乗って士林へと向かった。ガイドはもちろん渡辺Y氏であった。

台北の地下鉄はまだ開通したばかりで、日本とは異なる改札システムが興味を引いた。士林の夜市はこれぞ台湾といった感じで、渡辺Y氏が適当に目を付けた店に一同入った。日本語も英語も通じない中、渡辺Y氏が身振り手振りで適当に料理を注文した。

その後、夜市を散歩していたら段々と散会して一人になってしまった。地下鉄はもう終わってしまったとのことで、途方に暮れていたら、佐々木氏と合流でき、二人してタクシーでホテルへと帰ることができた。

台北に着き、名古屋組と合流。現地の案内人が出迎えてくれた。名古屋組は団長の山中氏を筆頭に、名古屋の犬塚、今枝、杉山氏、愛知の舘、奥山氏、そして幹事の東海渡辺Y氏。稲垣氏は土曜日に合流する予定であった。一同チャーターバスに乗って空港から台北市街へと入る。ホテルは昨年よりは確かにグレードが落ちた感じだったが、ごく普通であった。夕食はどうするのかと思っていたら、これから士林の屋台へ繰り出すとのことであった。かくして一同、地下鉄に乗って士林へと向かった。ガイドはもちろん渡辺Y氏であった。

台北の地下鉄はまだ開通したばかりで、日本とは異なる改札システムが興味を引いた。士林の夜市はこれぞ台湾といった感じで、渡辺Y氏が適当に目を付けた店に一同入った。日本語も英語も通じない中、渡辺Y氏が身振り手振りで適当に料理を注文した。

その後、夜市を散歩していたら段々と散会して一人になってしまった。地下鉄はもう終わってしまったとのことで、途方に暮れていたら、佐々木氏と合流でき、二人してタクシーでホテルへと帰ることができた。

[台湾編] 再び台湾へ
12月1日~3日、金、土、日の3日間で台湾を再訪した。昨年に引き続き2回目の台湾訪問であった。昨年のツアーは成功裏に終わったが、TM色が強く、観光があまりできなかったという声もあったようで、今回のツアーはTM関連は合同例会に留め、観光にも十分配慮したものとなった。
企画は東海クラブ(当時)の渡辺氏で、団長は名古屋の重鎮山中氏とした。8月中には既にツアー募集の第1報が流れていた。ホテル等のグレードを下げて昨年より金額が下がっていた。ツアー全体の日程は4日間だったが、私は休みの関係で今回は日曜で帰国することにした。
今回はディストリクト76Pとして初の台湾訪問であり、台湾もまた同じくしてディストリクト67Pとなったこともあって、日本からは稲垣DGが参加して台湾のウーDGと面談する予定なども組まれていた。特に公式訪問というわけではなかったが、日台交流の新たなる一歩を感じさせる訪問になることは間違いなく、期待の膨らむツアーとなった。
企画は東海クラブ(当時)の渡辺氏で、団長は名古屋の重鎮山中氏とした。8月中には既にツアー募集の第1報が流れていた。ホテル等のグレードを下げて昨年より金額が下がっていた。ツアー全体の日程は4日間だったが、私は休みの関係で今回は日曜で帰国することにした。
今回はディストリクト76Pとして初の台湾訪問であり、台湾もまた同じくしてディストリクト67Pとなったこともあって、日本からは稲垣DGが参加して台湾のウーDGと面談する予定なども組まれていた。特に公式訪問というわけではなかったが、日台交流の新たなる一歩を感じさせる訪問になることは間違いなく、期待の膨らむツアーとなった。
[D76P編] 初めての秋季大会
ディストリクト役員会後、11時から秋季大会が行われた。午前中のクラブ設立及び活性化研修では、立ち上げ中の3クラブの事例紹介と、少し前に行なわれた日本語クラブ活性化戦略推進会議の報告に基づいたセミナーが行なわれた。司会は教育委員会のクイッグリー氏。

午後からの役員研修は、まずディストリクト役員による各クラブ役員の役割説明。一人持ち時間3分で私は書記の説明を受け持った。英語での説明である。短い時間で要点だけを抽出して説明することの難しさを味わった。続いて各役員ごとに分かれてのグループディスカッションとディスカッションの発表。階段形式の会議室でのディスカッションは少々苦しいものがあった。日本語クラブの役員は日本語クラブだけでグループを作った。ここに立ち上げ中の京都クラブ会長として、台湾の李氏が参加されていた。李氏はこの1年間日本に留学中で、その合間に京都の立ち上げにも関わられていた。

14時45分からは半期総会。役員会の議決内容の報告、各クラブからの報告と、特別な行事等の報告が盛り込まれていた。今回の秋季大会の事前の案内で、次年度のディストリクト行事の運営クラブを決めるので、立候補するクラブを募集し、当日決定する予定であった。行事は2001年秋季大会と2002年春季大会で、半期ごとの年次大会制へ向けての伏線とも言えた。2002年春季大会については前述の通り、大嶋T氏中心で話が進んでおり、英語のスピーチコンテストは大阪クラブが運営する予定であった。2001年秋季大会についてはこの日は結局決まらず、持ち越しとなった。

午後からの役員研修は、まずディストリクト役員による各クラブ役員の役割説明。一人持ち時間3分で私は書記の説明を受け持った。英語での説明である。短い時間で要点だけを抽出して説明することの難しさを味わった。続いて各役員ごとに分かれてのグループディスカッションとディスカッションの発表。階段形式の会議室でのディスカッションは少々苦しいものがあった。日本語クラブの役員は日本語クラブだけでグループを作った。ここに立ち上げ中の京都クラブ会長として、台湾の李氏が参加されていた。李氏はこの1年間日本に留学中で、その合間に京都の立ち上げにも関わられていた。

14時45分からは半期総会。役員会の議決内容の報告、各クラブからの報告と、特別な行事等の報告が盛り込まれていた。今回の秋季大会の事前の案内で、次年度のディストリクト行事の運営クラブを決めるので、立候補するクラブを募集し、当日決定する予定であった。行事は2001年秋季大会と2002年春季大会で、半期ごとの年次大会制へ向けての伏線とも言えた。2002年春季大会については前述の通り、大嶋T氏中心で話が進んでおり、英語のスピーチコンテストは大阪クラブが運営する予定であった。2001年秋季大会についてはこの日は結局決まらず、持ち越しとなった。
[D76P編] 秋季大会前の波紋
11月26日(日)、代々木のオリンピックセンターで、ディストリクト76Pとして初めての秋季大会が開催された。現在の様なコンテストと評議会を併設した形ではなく、役員研修と評議会のみの大会であった。プログラムは3つに分かれており、午前中がクラブ設立及び活性化の研修、午後が役員研修、そして半期総会。ディストリクトの役員は更にその前に役員会があり、9時から17時まで缶詰状態であった。
役員会ではちょっとした波紋があった。稲垣DGからLGETの佐々木氏が辞任されたとの報告がなされたのである。事前に何の情報も掴んでいなかったので、これは寝耳に水であった。辞任の理由については特に明らかにされなかったので真相は不明である。後任には福岡の今村氏が就任予定とのことであった。役員に空席が生じた場合は、次の半期総会までに決めておく必要があった。LGETの人事などは容易ではないと思うが、今村氏という選択は妥当なのものに思えた。
稲垣DGからの議題は、「ハイパフォーマンスプラン」と銘打たれ、ディストリクトの強化策について論じられた。特にクラブ数については、年度内で43~50クラブ程度という数字が示された。この時点で年度内にチャーターしていたのは座間アーティキュレイターズのみで、" Provisional Club " として、鶴ヶ島、鎌倉、Leadership と、徳島、京都が続いていた。ちなみにこの頃は設立申請中クラブを " Provisional Club "、申請準備段階のクラブを " Prospects Club "と区分していた。当時発起人から準備中の打診のあったクラブとして、筑波バイリンガル、日産、虎ノ門、宝塚、浜松、春日井英語、所沢、岐阜という名称が上がっていた。この中のいくつかは実行に移されて現在に至っている。
またディストリクトになって、年度内にCTM何人達成というノルマも課せられたため、CTM受賞キャンペーンとして、基本マニュアルの#7、8、9を終えた会員にリボンを贈呈することが決まった。
役員会ではちょっとした波紋があった。稲垣DGからLGETの佐々木氏が辞任されたとの報告がなされたのである。事前に何の情報も掴んでいなかったので、これは寝耳に水であった。辞任の理由については特に明らかにされなかったので真相は不明である。後任には福岡の今村氏が就任予定とのことであった。役員に空席が生じた場合は、次の半期総会までに決めておく必要があった。LGETの人事などは容易ではないと思うが、今村氏という選択は妥当なのものに思えた。
稲垣DGからの議題は、「ハイパフォーマンスプラン」と銘打たれ、ディストリクトの強化策について論じられた。特にクラブ数については、年度内で43~50クラブ程度という数字が示された。この時点で年度内にチャーターしていたのは座間アーティキュレイターズのみで、" Provisional Club " として、鶴ヶ島、鎌倉、Leadership と、徳島、京都が続いていた。ちなみにこの頃は設立申請中クラブを " Provisional Club "、申請準備段階のクラブを " Prospects Club "と区分していた。当時発起人から準備中の打診のあったクラブとして、筑波バイリンガル、日産、虎ノ門、宝塚、浜松、春日井英語、所沢、岐阜という名称が上がっていた。この中のいくつかは実行に移されて現在に至っている。
またディストリクトになって、年度内にCTM何人達成というノルマも課せられたため、CTM受賞キャンペーンとして、基本マニュアルの#7、8、9を終えた会員にリボンを贈呈することが決まった。
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